友人の就職を純粋に祝えない私

どうもひぐまです。前の投稿から二週間近くたってしまいました。ずっと忙しくて最近ようやく落ち着いてきました。

 この二週間で色んなことがありました。中でも、自分の中で大きかったのは、友人の就職です。その友人は高校からずっと遊んでくれている友達で、今でも通話しながらゲームしたりしています。その友人の就職先が無事に決まりました。それは、喜ばしいことでした。祝福すべきことでした。しかし、それと同時にドロドロした嫉妬も、湧き出てきました。

 その友人は大学中退後専門学校に通っていて、私と同じように「王道」から少しずれていて、勝手にシンパシーを感じていました。就職なんて、そう簡単にうまくいかない。きっと内定が出ずに何十社も面接受けて落ちての繰り返しで就職に苦労するだろうな、なんて勝手に思っていました。そんな友人が、尚早に内定ゲット。勝手にシンパシーを感じていた分、勝手に傷ついた気持ちになってしまいました。私より先に就職するなんて、ありえない。私を置いていくつもり?!

なんて、一人で憤って嫉妬してまさにネガティブな感情の嵐の中にいました。しかし、その感情から、「就職」や「仕事」に対する私のステレオタイプが結果として浮き彫りになりました。

 "神経を削りながら理不尽に耐え、お金を稼ぐこと"

それが、私の仕事や働くことに対するイメージ。これ、まんま父親なんです。父親は私が幼い時会社の理不尽や大変な仕事で夜遅く帰ってきたり、朝帰りすることもしばしばでした。仕事のストレスで常に神経が立っていて躾や注意というにはあまりにもかけ離れた態度や言動を母や子供に浴びせていました。私は今もその父親の影に苦しめられているんですが、それほどまでに父親を疲弊させ神経を削るシゴトっていったい何なんだ。シゴトは、私にとって恐怖の対象でした。いつか、私も父親みたく働かなきゃいけないのかな。とてもじゃないけど、私には無理だ。そんなこと、絶対、私には無理。子供でよかったと安堵している自分もいました。しかし、私もずっと子供ではいられない。年齢を重ねるにつれ、「シゴト」に対する並々ならぬ恐怖も一層強くなっていきました。

 その恐怖が、今も尚私を苛み続けている。仕事なんて私なんかじゃ絶対無理。理不尽やストレスになんて絶対耐えられない。私の蓄積された恐怖は、もう心の深層部に刻み込まれていて簡単に取り除くことができない。

 しかし、私には無理だって思っているものを、自分にとって近い存在だと思っていた友人が手に入れた。それによって、私の価値観にアップデートの兆しが見えた。根底にある父の幻影ともいうべき仕事に対する価値観を認知できたということは、もう既に私の心に変化が訪れたのだ。きっとそうだ。そうにちがいない。

勿論、今は休養中で今すぐに就職なんて絶対無理。友人には友人のプロセスがあり、私には私のプロセスがある。友人の就職に対して、おめでとうという祝福の気持ちは勿論あるが、それ以上に嫉妬心があることも事実だ。だからといって彼のことを嫌いになるわけじゃないし、純粋に友人の慶事を祝えないからといって私がひどくて汚い人間になったわけでもない。出てきた感情を、まっすぐ、受け止めようとしているだけ。

「おめでとう」

ってしっかり彼に伝えたし、彼との関わりの中で不快にさせてはない。そのあと何回も一緒に通話しながらゲームしたしね。

 そう、これは、私の心の中の問題。心の感情に貴賤も優劣もないから、今回出てきた嫉妬さんも、何にも悪くない。不快だけどね。友人の就職を純粋に祝えない私だけど、大丈夫。だって、今の私、全然うまくいってないもん(笑)。抗うつ剤睡眠薬ないと生きていけないし、大学だって今行けてないし。そりゃあ、嫉妬ぐらいするでしょ。大丈夫。友人の就職を純粋に祝えないからといって、自分のことを責める必要はないよ。大丈夫。きっと、私も就職できる日が来るよ。そう、祈っています。