ベストは尽くした~大晦日の振り返り~

 今日で今年は終わる。僕は、いったい何をしていたのだろうか。何を成しえただろうか。

 今年度で、僕の長い夏休みが終わる。悲しいことに、僕の長期休暇は終わってしまう。悲しいって書いたけど、実はそこまで悲しくない。不安はある。福祉学部に編入するかしないか、退学するか復学するか、二年間大学に通って卒論書いて就活もして社会に出るか。正直怖い。僕の道は、正直にいってイレギュラー満載の茨道だ。茨道というか、本当に未開の荒野を自分で切り開く感じになってきた。僕の道は、高校に行って大学に行って就職という普通、すなわち誰もが思い描くような「王道」とはかけ離れすぎている。

 今までだったら、休みが終わるころにはどうにかなりそうで、頭がおかしくなって、気がくるって、自分を責めていたと思う。しかし、今回は、なんだか違う。何とかなるって思ってる。それは投げやりという感情とは異なり、むしろ最善を尽くして、ただこの先の運命に従うのみだ、という悟りともいうべきか、泰然自若ともいうべき感情に近い。どうにかなる。やるだけのことはやった。動けないときにはしっかりと動かなかったし、体力作りに筋トレを始めて今も続けているし、デイケアに行って結局合わなかったことも受け入れたし、料理もできることはしたし、好きなことを無理のないようにやった。怒りも受け入れ、拒絶し、そのままの自分でいることを、16年間無視し続けてきた自分を、ありのまま解放して今も僕の中にいる。やれるだけのことはやった。一回も精神科休まなかったし、カウンセリングもしっかり受けたし、整体にも行って肩こりにアプローチした。すべてやった。自分で毎日認知行動療法的な思考をするように努めたし、本当に努力した。誰に否定されようが、お前に俺の何がわかるって突き返すこともできると思う。

 だから、今の自分は、正直無敵だ。休むことは何なのか、自分のペースとは何なのか、自分を大事にするとは何なのか、自分とは何なのかを、はっきりとはまだわからないけど、うっすらと透明な輪郭は見えてきていると思う。たぶんその線を自ら作り上げれたことが、今年一番の収穫だと思う。完璧主義な自分との付き合い方を学ぶ。挫折したときの対処法を学ぶ。学び方を学んだ。僕は、この先も修羅の道だと思うけれど、なんとなく、ちょっと鼻歌でも歌いながら、苦難や困難を味わっていけそうな気がする。困難は、乗り越えられはしないと思う。きっと吞み込まれてしまう。けど、そのたびに苦渋を「にがっw」って味わい尽くしながら生きていくと思う。

 嵐の後の荒涼とした大地に一人、仄かに胸をすくような爽やかな風を感じている。清     涼とともに寂寞たる空気を、僕は胸いっぱいに吸い込む

我慢解放宣言

 先日、スプラトゥーン3を買って、友人とゲームをした。もともとゲームをするときは、楽しむというか、熱くなりすぎて負けた時に暴言や怒りが多々出てしまう性格で、それを友人の前では絶対に出さないように針の先まで神経を尖らせていた。

 しかし、とうとう限界を迎えてしまった。もうどうしようもなくなって、終わった後に壁を殴って破壊して、リスカをした。友人とは速攻で電話を切って、何とか人前で奇声を発さなかったのが唯一の救いか。

 僕にとってゲームは心の支えであるが、辛い記憶を呼び覚ます装置でもある。学校でも家でも一人だった僕にとって現実逃避として選んだのはもちろん手元にあるゲームで、癒しというにはあまりにも抜本的な効能は期待できなかったが、鎮痛剤のような役割だった。なぜ孤独だったかというと、僕はゲームで思い通りにならなくて怒りまくって、調子がいいときは威張る最低な子供で、皆から嫌われたからである。というか、ゲームに限らず常に怒っていたので、あだ名は「おこりんぼ」。そして、ポケモンの技で初めて「いばる」という単語の意味を知ったとき、これは僕だなって自分で言って悲しかったのを覚えている。その時の悲しみが、怒りが対人ゲームになると常に刺激され、発狂しそうになるので、ゲームで負けたりするとその時の感情を抑えなければならない。

 親に、「我慢しろ」って言われてから今まで、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっっっっっっっっっっっっっっっと我慢してきた。嫌なことがあっても、がまんがまん。ひどいことされてもがまんがまん。僕は、怒りを外に出しちゃいけない。出したら絶対嫌われる。皆に嫌われたら、僕は死んじゃう。だから、我慢。今思えば、小学一年生の子がずっと怒っているのは異常だし、親に何らかの原因があるのは明らかなんですけどね。まあ、案の定モラハラ夫とノイローゼヒステリック妻で家庭は液体窒素みたいに冷たく常に荒らして感じだったのは今でも覚えています。

 話を戻すと、ゲームは、僕の怒りを表出させる装置で、今回スプラ新作と友人を通してそれが壊れてしまった話です。内容上記の通りですが。

 そう。壊れてしまった。壊れたというか、壊れてよかった。もう、我慢しない。もう、我慢は、散々した。いじめも辛いことも嫌なことももう無理だよっていう心の声も全部無視して、我慢した。もう、我慢しない。これからは、もう、ゲームをやって怒りが出てきても、もう宥めたりしない。ストレートに、だす。

 

我慢解放宣言 

 

ここに表明。僕はこれから、常に怒った人になります。

 

もうつかれた

僕は、転校していじめられた。いじめられたというより、友達の輪から省かれた。なぜなら、僕が怒りんぼだったから。怒りんぼがいたら、一緒にいても楽しくない。全部僕のせいだ。相手の気持ちになって考えた。もし僕みたいな怒りんぼがグループに入ってこようとしたら、そりゃ排斥するに限る。だってそいつといたってメリットなんてないし、輪が乱れるだけ。それなら簡単だ。

 

      そんな異物なんて排除してしまえばいい

 

 僕が、ただ怒ってばかりで傲慢な生物だったから、皆に嫌われたんだ。がん細胞みたいな異物は、排除するのみ。共存は、ありえない。

 そうか。僕は、異物だったんだ。忌むべき存在で、そのままのぼくじゃ絶対にダメだ。そんな時の、快刀乱麻のおまじないを教えちゃいます!!!!

 

 

 

 

「我慢しろ」

 

 

 

 

それが、いじめを親に相談したときに受けた唯一のありがたいアドバイス。怒りを、我慢する。我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ

我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ

我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ

我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ

我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ

我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ

我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ

我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ我慢しろ

 

そうしなければ、僕は生きていけない。みんなに、嫌われちゃうから。僕は、ゴミみたいな、存在だから。

 

 それなのになぜ、あとから転校してきたA君は、嫌われてないの。なんで、みんなに受け入れられているの。おかしい。そうか。あの子は、野球ができて、足が速くて、穏やかな性格で、怒ったりしないからだ。僕には、特出した才能なんて、一つもないから、みんなになじめないし、受け入れられないし、注目もされないんだ。とにかく、僕の怒りんぼの姿は、絶対に今後誰にも見せてはいけない。とにかく、自分を抑えて、我慢しなければ。 

 隣に、別の新しい転校生がやってきた。その子は、なんと一時期丸々した顔立ちを一部の子から馬鹿にされていた。放っておけなかった。家が隣だってこともあったし、僕と同じような思いは絶対にさせてはいけないという正義感もあったと思う。奴らが隣の子を馬鹿にする度に、「馬鹿にすんな!!!!!!!!!!!!!!!」って大声で言い返して、睨みつけてやった。それしかできなかったけど、僕なりに必死で守ろうとした。

 

 けれど、隣の子は、僕がいじめられたとき、何にもしてくれなかった。

 

 その子は野球大好きで、彼の母親も

「ひぐまくんも野球やろうよ」

なんてしょっちゅう勧誘してきた。そんなに言うんだったら、やってみようかな。隣の子も当時二軍(初心者含む)で一緒に野球楽しめるし、もっと仲良くなれるかもしれないし、アニメのメジャー好きだったし、うちのお父さんとキャッチボールできるようになるかもしれないし。

 そして、いざ入部したけど、それと同時に隣の子が一軍に昇格してしまった。僕は野球のルールのルも知らない初心者だったから、当然、二軍の底辺からスタート。所属する階級が違うわけだから、勿論一軍には一軍の、二軍には二軍の練習があるし、大会も当然ベンチに入ることすらできなかったから話すこともなかったし、彼と交わることなんて一回もなかった。

 そんなこんなで隣の子と一緒にできないし、野球も好きになれなかったし、サッカーもやってたし、練習もコーチもきつかったから、結局一年で辞めてしまった。ちょうど一軍の人たちが強くて小学校の大会で優勝した頃だったかな。そのおこぼれで二軍の人も金メダルをもらっていて、僕も同じやつをもらった。そんな時に辞めたもんだから、

「あいつメダル持ち逃げしやがった!!」

って悪態つかれて、野球部の人(主に二軍)から結構反感を買ってしまったらしい。クラス内にも一軍の部員が結構いて、野球部が固まったときには少し意地悪されたし。二軍の人みたいにすれ違いざまに「辞めやがって!!!!!」とかは言われなかったけどね。二軍内で野球部を辞めること自体禁忌みたいな風潮があった気がする。こんな辛い環境からお前だけ逃げやがって!!!みたいな感じ。二軍の人たちは野球よりもゲームのほうが好きですみたいな人が多かったし。

 結構精神的に辛かったけど、

「いじめは転校当初に経験してるから大丈夫」

って自分に言い聞かせて、毎日頑張って登校して一度も休まなかった。

けど、隣の子は、僕に何にもしてくれなかった。辞める時も話をした記憶もないし、辞めた後も「大丈夫?」の一言もなかった。というか、クラス内の嫌がらせの際に、隣の子も後ろで黙ってみてたしねw

隣の子がいじめられた時は僕なりに守ってあげたけど、僕がいじめられた時には何にもしてくれなかった。本当に、何も。というか始めから誘っておいて何にもしてくれなかったしね。多分僕がいじめられていることすら知らなかったと思う。

 

こんな感じの学校生活で、ゆとりもくそもありゃしない。家では父が仕事で疲れて子供や妻に注意とは程遠い怖い声や態度で八つ当たりしてたし、母は精神病んでて家事以外はずっと寝てたし。というか毎日大声で喧嘩してたしね。姉も自分に精いっぱいで俺に一切かまわなかったし。友達もいなかったし。サッカーも好きじゃなったし下手糞だったし。頭も普通だったし。ずっと小学校から肩こってて頭痛くて相談できる人も安心できる場所もなくて、だれも、僕の辛さに気付いてくれなくて、こんな状況で育ったら、そりゃ精神疾患にもなるでしょ。毎日生きるのに必死で自分の好きなこととか才能を伸ばすとかできるわけないでしょ。そうじゃないと、そう考えないと、今の僕は、崩れてしまう。死にたい。

 

 

 

友人の就職を純粋に祝えない私

どうもひぐまです。前の投稿から二週間近くたってしまいました。ずっと忙しくて最近ようやく落ち着いてきました。

 この二週間で色んなことがありました。中でも、自分の中で大きかったのは、友人の就職です。その友人は高校からずっと遊んでくれている友達で、今でも通話しながらゲームしたりしています。その友人の就職先が無事に決まりました。それは、喜ばしいことでした。祝福すべきことでした。しかし、それと同時にドロドロした嫉妬も、湧き出てきました。

 その友人は大学中退後専門学校に通っていて、私と同じように「王道」から少しずれていて、勝手にシンパシーを感じていました。就職なんて、そう簡単にうまくいかない。きっと内定が出ずに何十社も面接受けて落ちての繰り返しで就職に苦労するだろうな、なんて勝手に思っていました。そんな友人が、尚早に内定ゲット。勝手にシンパシーを感じていた分、勝手に傷ついた気持ちになってしまいました。私より先に就職するなんて、ありえない。私を置いていくつもり?!

なんて、一人で憤って嫉妬してまさにネガティブな感情の嵐の中にいました。しかし、その感情から、「就職」や「仕事」に対する私のステレオタイプが結果として浮き彫りになりました。

 "神経を削りながら理不尽に耐え、お金を稼ぐこと"

それが、私の仕事や働くことに対するイメージ。これ、まんま父親なんです。父親は私が幼い時会社の理不尽や大変な仕事で夜遅く帰ってきたり、朝帰りすることもしばしばでした。仕事のストレスで常に神経が立っていて躾や注意というにはあまりにもかけ離れた態度や言動を母や子供に浴びせていました。私は今もその父親の影に苦しめられているんですが、それほどまでに父親を疲弊させ神経を削るシゴトっていったい何なんだ。シゴトは、私にとって恐怖の対象でした。いつか、私も父親みたく働かなきゃいけないのかな。とてもじゃないけど、私には無理だ。そんなこと、絶対、私には無理。子供でよかったと安堵している自分もいました。しかし、私もずっと子供ではいられない。年齢を重ねるにつれ、「シゴト」に対する並々ならぬ恐怖も一層強くなっていきました。

 その恐怖が、今も尚私を苛み続けている。仕事なんて私なんかじゃ絶対無理。理不尽やストレスになんて絶対耐えられない。私の蓄積された恐怖は、もう心の深層部に刻み込まれていて簡単に取り除くことができない。

 しかし、私には無理だって思っているものを、自分にとって近い存在だと思っていた友人が手に入れた。それによって、私の価値観にアップデートの兆しが見えた。根底にある父の幻影ともいうべき仕事に対する価値観を認知できたということは、もう既に私の心に変化が訪れたのだ。きっとそうだ。そうにちがいない。

勿論、今は休養中で今すぐに就職なんて絶対無理。友人には友人のプロセスがあり、私には私のプロセスがある。友人の就職に対して、おめでとうという祝福の気持ちは勿論あるが、それ以上に嫉妬心があることも事実だ。だからといって彼のことを嫌いになるわけじゃないし、純粋に友人の慶事を祝えないからといって私がひどくて汚い人間になったわけでもない。出てきた感情を、まっすぐ、受け止めようとしているだけ。

「おめでとう」

ってしっかり彼に伝えたし、彼との関わりの中で不快にさせてはない。そのあと何回も一緒に通話しながらゲームしたしね。

 そう、これは、私の心の中の問題。心の感情に貴賤も優劣もないから、今回出てきた嫉妬さんも、何にも悪くない。不快だけどね。友人の就職を純粋に祝えない私だけど、大丈夫。だって、今の私、全然うまくいってないもん(笑)。抗うつ剤睡眠薬ないと生きていけないし、大学だって今行けてないし。そりゃあ、嫉妬ぐらいするでしょ。大丈夫。友人の就職を純粋に祝えないからといって、自分のことを責める必要はないよ。大丈夫。きっと、私も就職できる日が来るよ。そう、祈っています。

夜の自転車ならいけそう…??

どうもひぐまです。

 昨日の夜、早速夜にメルカリの発送ついでに自転車漕いできました!

人と車が少なくて、人の目を気にしないで外に出れるから結構快適!夜で結構涼しいしね。でも、20分くらい一番重いギアで漕いで家帰ったら汗びっしょり。結構な運動になると感じます。

 実はランニングや歩きが嫌いな理由がもうひとつありまして…

それは、姿勢です。僕肩凝り凄いんですけど、姿勢矯正のために以前整体に行ってたんです。そこで施術してもらいながら歩き方の指導があって、歩いたり走ったりするのに物凄く意識しなきゃいけなくて、もう、義務感。楽しくないし、歩いたらしんどい。整体通ってないいまでも常に「本当にこの歩き方であっているのか」と不安になって、すっごく体も心も疲れてしまうんです。正直、もうめんどくさい。簡単に歩く姿勢なんて治るわけじゃないし、今の鬱や不安症治療で精一杯の僕には、それを意識し続けるのは無理。だから、自転車がいいんです。

 恐らく、自転車に乗ることがいまの僕のできる最大の運動と言ってもいいです。いつか、走れたらいいんですけどね。とりあえず、昨日行けたことをほめてあげたいと思います。偉いぞ自分!!!!

 

道端で立ち止まれない。ゆっくり歩けない。

どうもひぐまです。一日ぶりです。最近、社会不安障害の僕にとって大発見をしました!!大発見というか、症状。それは…

 

 

 

 道端でゆっくり歩けない

というか、

 道端で立ち止まれない

 

のです。

いつも速足で歩いているので、深呼吸しながら歩こうと思って試しにペースを落としてみたんですが、なんだか怖くてできない。心臓がバクバクする。焦燥感が止まらない。三秒ほどで、耐えきれず速足どころか走り出してしまいました。普通の人は、ゆっくり歩くことに抵抗はないのかな…

 恐らく、僕のせっかちな性格も原因にあると思いますが、それ以上に人が怖いという対人恐怖症の部分が原因だと思います。ゆっくり歩いたら、人に後ろから抜かされそうな気がして、怖い。ゆっくり歩いたら誰もいないのに後ろの気配がしてちらちら10秒毎に振り向いちゃうし、せっかく夏の新緑を楽しもうとしてももうそれどころじゃない。実際に後ろから人が来た時も怖くて怖くて何にも考えられなくなる。危害を加えられそうな気がする。具体的な危害は分からないけど、とにかく、襲われそう。あと、後ろから来た人に迷惑になるんじゃないかと思って自分なんていない方がいいんだという気持ちになる。

 立ち止まったら、更に恐ろしい。誰かに見られているんじゃないかと不安になる。軽く屈伸運動とかしてももう焦って頭真っ白。誰かに迷惑かけている気がする。あと、変なことしていると思われている気がする。抜毛症で禿げた頭を笑われている気がする。

 なので、犬を飼っているのですが、散歩には最近僕は行っていません。罪悪感が凄いですが、親に行ってもらっています。あと、運動したいと思っても、ランニングやウォーキングは怖くてできません。たぶんできたとしても、一週間くらいで体力使い果たしてまた寝たきり状態になると思います。まあ今も寝たきり状態に近い生活をしてるんですがね(笑)

 故に、僕は夜中にサイクリングに行こうと考えています。夜なら全然歩行者いないし、車も少ない。人がいても暗さがベールになってあまり気にならない。全然使っていないサイクリングバイクで駆け抜けるなら、できるのかなーって思います。なので、今度やってみようと思います!!!!グッドラック自分!!!!

楽しさが義務に変わる瞬間

どうもひぐまです。今回は長ったらしく書かずに短めで。
 一人称を私か僕かで悩んでいるんですが、投影しやすいのは「僕」、見られることを考えれば「私」だと思うんですが、どっちにしよう…前回は「私」でやったので、今回は「僕」にしようと思います。
ブログを長く書かなきゃって考えて、筆がよくとまってしまいます。義務感が勝っちゃう感じ。よくあります。というか、毎回。最初は楽しくても、あとから全部「~しなきゃ」に変わっちゃう現象。ゲームもそう。スプラトゥーンとかAPEXとか対人ゲームとか特に。楽しめなくなっちゃう。だから、対人ゲームを楽しめてる人が凄く羨ましい。モンハンですら気付いたら楽しめなくなっちゃうしね笑。そう、なんにも出来なくなっちゃう。悲しい。色鉛筆もそう。色塗るの好きだけど、褒められるうちに自分でハードル上げて楽しめなくなっちゃう。好きって気持ちが消えちゃう。だから、もう随分描いてない。毎日描きたい気持ちはあるのにね。
 だから、今回は義務感強くなってきたから、このblogに関して、その理、今回は長く書かかなきゃ、支離滅裂な文を書いちゃいけないという義務感を感じたので、あえて外れてみようと思います。
今日めっちゃいい天気うんこめっちゃでたけどトイレクーラー入ってなくてガン萎えまじ悲しみ大納言。、句読点ミスってるわらどうやって使うんだっけ句読点くとうてんwなんやねんwってそれ名倉やないかい💢オラオラオラァスタープラチナ!!あした天気になあれって天気になるってなんやねん晴れとか曇りとかじゃなかてなんで天気やねん天気になるってなんやねん!!!!!!

以上です。しばらく雑に書こうかな笑
そう、ここで一句。
これは、僕のための、ブログ。
だから、適当に書いてもOK。
ではさよなら✨